きがた組より
あっという間に8月が終わってしまいました。
今年の8月は、雨の日が多く日照時間の少ない月となりました。
さて、9月に入りました。お祭りまでもう少し。。特別な気持ちになります。
今朝も角館總鎮守神明社と勝楽山成就院薬師堂へお参りして、お陰様で人形作りが無事に終えたこと、来週より人形を飾る作業に移ることをご報告してまいりました。
きがたでは、角館町の真ん中立町の大置山に人形を飾ります。
大置山作りも大詰めとなり黒木綿をかける前まで進んでおります。
やま組(大置山製作)の方に打ち合わせ通り製作していただきお礼申し上げます。
外題は、富士の巻き狩り「二つの伝説」を飾ります。
このブログの中でも紹介したことがあります。
令和4年 立町大置山人形外題
外題 ふたつの伝説 「富士の巻き狩り」
源頼朝 工藤祐経 仁田忠常 大猪 曽我五郎 曽我十郎
1192年日本武士の頂点となった征夷大将軍 源頼朝が鎌倉幕府を開いた。
翌年、頼朝は多くの御家人(家来)の前で権力を誇示する為、軍事訓練を含めた猪や鹿などを狩猟、大規模な巻狩りを現在の静岡県の富士山の麓、裾野で計画した。
この巻狩りでは、二つの伝説が残っている。
ひとつは、仁田忠常の猪退治である。大猪が現れ、大暴れし頼朝めがけ猪突猛進してきたのである。それを守ったのが北条義時家臣、仁田四郎忠常である。猪の背中に飛び乗り、見事に仕留め頼朝は喜び富士の巻狩での伝説となった。
その夜、ふたつ目の伝説が起こる。曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟の仇討ちある。「曽我物語」歌舞伎では「曽我物」で有名である。 工藤祐経は、京での経験により文化人で頼朝から信頼を得て幕府の御家人なっていた。しかし、祐経は、曽我兄弟が幼い頃、伊豆国伊藤荘領土の争いにて兄弟の父を殺害していた。兄弟は、このことを幼き頃から憎み仇討ちを達成するため生きていた。成人となった兄弟は、巻き狩りを最大の好機と思い夜討ちをかけ祐経を討ったのであった。この仇討ちは、日本三大仇討ちとなった。また、江戸時代では「曽我物語」が流行り歌舞伎など演目に用いられ、悲願を達成した祝いとして縁起物の演目として今でも演じられている。寿 曽我対面に寿が付けたり、歌舞伎十八番などに曽我五郎が登場する矢の根などの演目などには、富士山や宝船、打出の小槌などが大道具小道具として登場するため、めでたいハレの日に演じられる新春歌舞伎などで「曽我物」として演じられている。
現在、大人気放映中 鎌倉殿13人のなかでも登場した場面です。
大河ドラマを見ている子供からお年寄りまで分かる世の中の世相を反映させた風流な人形外題を選定しました。
また、角館の祭りの人形が好きな方へ人形師として曽我兄弟と工藤祐経の時代背景がわかる場面です。
様々な思いを込めた今年にしかできない人形外題となります。
9月6日、午前中に人形を飾る予定をしております。台風が気になりますが。。
3年ぶりの立町の大置山です。
とても大義と感じでおります。期待と喜びに答えられるよう今年の夏、懸命に頑張った人形達です。
どうぞご覧ください。